トウモロコシ
トウモロコシ(Zea mays, L.)は子実やサイレージを用途に世界で約1億8千8百万ヘクタールの面積で作付けされています。最近の10年間でトウモロコシの作付面積は20%以上増加していますが、これは主として米国以外の生産地によるものです 米国だけで世界のトウモロコシ子実の35%以上を生産しています。小麦の栽培面積はトウモロコシを上回り、また米の栽培面積もトウモロコシとほとんど変わりませんが、生産量に関しては、トウモロコシはこれらの作物を大幅に上回ります。このため、トウモロコシの生産は経済的な面も含めて、世界の農業で大きな役割を果たしています。
ヘンリー・アガード・ウォレス
農民であり、大学教授であり、元農務長官でもあった父から農業を学びました。ウォレスが15歳の時(1903年)、彼はアイオワ州立大学のペリー・G・ホールデン教授のトウモロコシのショーでの審査を見たことで、トウモロコシに強い関心を持ちました。 彼は賞を得たトウモロコシの種子を翌年畑に播くとどうなるのかという疑問を持ったのです。 翌春、ウォレスの父(ヘンリー・キャントウエル・ウォレス)はショーで最高と最低の評価だった雌穂から取った種子を畑に並べて植えてみるようウォレスに勧めました。秋の収穫期が来て、ホールデンとウォレス親子は結果に驚きました。収量が最も高かったのはショーで最低評価の雌穂のものだったのです。それ以来、ウォレスは「綺麗な雌穂」を選ぶトウモロコシショーに反対するキャンペーンを、このようなショーの重要性が失われる1930年代まで続けました。 ウォレスは1910年にアイオワ州立大学農学部を首席で卒業しました。この時代、彼はトウモロコシの品種改良に関して彼自身の考えを刺激した手法である、ジョージ・シュル博士の純系トウモロコシ育種に関心を持ちました。1913年、彼はデモインの彼の家の裏庭で彼にとって最初のハイブリッド品種を作りました。そして1926年、ウォレスはデモインのビジネスマンの小グループと共に「ハイブレッドコーン会社」を設立しました。 1930年代半ばには、あちこちで誕生した他のハイブリッド種子会社と区別するために、会社名に「パイオニア」が付け加えられました。ある年の作物から取った種子を保存し、それを次の作付けで使うという一般的な慣行の先に、ウォレスは品種の近親交配による選抜を通じてトウモロコシの収量を改善する可能性があることを認識していました。彼はハイブリッド種子を用いた栽培が将来は大きなうねりとなり、農民がその力を知れば広大な市場が広がることを確信していました。 1930年代の終わりまでに、パイオニアはその種子セールスをミネソタとサウスダコタ、東はイリノイ、インディアナ、そしてオハイオへ広げていきました。そして第二次世界大戦までに、パイオニアは米国内で栽培されるハイブリッドコーン種子の主要サプライヤーの1つとなり、米国のコーンベルト地帯(アイオワ、イリノイ、インディアナ、ミネソタ、ネブラスカ、カンサス、ミズーリ‐、サウスダコタの各州)で栽培されるハイブリッドコーンの90%を提供していました。 ウォレスは1933年に農務長官になってパイオニアを離れ、その後はフランクリン・ルーズベルト大統領の下で副大統領(1941-1945)を務めました。 1960年代になり、パイオニアのメンバーは世界の食料供給の改善に深い関心を持ち、パイオニアがその遺伝子の専門知識をあらゆる機会に活用すべきだと考えました。そして、このことがパイオニアの海外事業を大幅に拡大させることになりました。
雑種強勢(ハイブリッドコーン)
現代のハイブリッド品種はトウモロコシの遠い祖先であるテオシントにほとんど似ていません。 ハイブリッドは一つのインブレッド(自殖系統)の花粉が別のインブレッドの絹糸に受粉された時に作られます。このことによって雑種強勢が生じ、そこで作られるハイブリッド種子は子実収量の増加を含め、改善された特性を伴って、より頑強に生育する傾向があります。2つのインブレッドのバックグラウンドが離れるほど、より強い雑種強勢が作られます。 ハイブリッド種子の生産にはインブレッドを用います。インブレッドは同一個体の花粉と絹糸による受粉(自殖)で作られます。そしてインブレッドを作るプロセスでは、そのインブレッドが可能な限り遺伝的に純粋で同質と考えられるまで何世代もの自殖が繰り返されます。 1930年代より以前のトウモロコシ品種は自然受粉でした。農民たちは収穫時に最も大きくて見栄えの良い雌穂を選び、その種子を翌年圃場に播いていました。この方法は、特定の形質について、結果的にそれが好ましいか好ましくないかを「意図しない」選抜でした。この方法が続くにつれ、さまざまな地域で明確な特徴を持った特定の品種が選抜され、「ブラッディ・ブッチャー」などのローカルネームが付けられました。今日でも、世界のトウモロコシ生産地の中には、この方法が様々に形を変えて用いられている場所があります。 米国では1920年代にハイブリッドのトウモロコシ種子を使い始めました。 ハイブリッド品種の能力は1930年代の条件の悪い年に証明され、ハイブリッド種子の需要は劇的に増加しました(Troyer, 2009)。この初期のハイブリッド品種は4つのインブレッドを用いる複交配品種がほとんどでした。1950年代以降は、2つのインブレッドのみを用いる単交配品種が主流となり、現在も米国のほとんど全てのハイブリッド品種は単交配で作られています。 一方で、米国以外の多くのトウモロコシ生産地では、復交配や三系交配がまだ用いられています。 米国の現代ハイブリッド品種は多くが南東部のデント系統と北西部のフリント系統の交配によるものです(Galinat,1988)。(図1)
テオシント:現代トウモロコシの祖先
テオシントはメキシコおよび中米原産の野生一年草です。約9,000年前、農民たちが特定の突然変異の選抜を始めました。そして、たった5つの突然変異に基づいた継続的な選抜により、現代のトウモロコシが作られました。
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